若き日の日記

広布史

4月29日
師子座なき本部に、淋しく帰る。10時まで会議。打ち合わせ会。

29日……午前中、休養。健康にならねばならぬ。一段と、大切な身体となる。

恩師の偉業達成のために。くやし。意義深き5月3日、目前に迫る。

実質的――学会の指揮を執る日となるか。胸苦し、荷重し。「第5の鐘」の乱打。

戦おう。師の偉大さを証明するために。一直線に進むぞ。断じて戦うぞ。

障魔の怒涛を乗り越えて。本門の青春に入る。


4月30日
微熱続く。一日中、だるし。この一年で、健康にならねば、大変なことになる。真剣勝負の人間革命。


5月12日
5月3日の大総会を終え、学会は第二段階に入る。

「“広布実現を目指して”と題する講演は、明確なる学会の指針を示せり」
と幹部より感謝さる。

私の闘争は始まる。先生、ご照覧を。祈る、加護を。正義のわれを。

死を覚悟できるようになる。広宣流布といいし、崇高なる人類の平和の花道に。


5月14日
今日も無理して家を出る。微熱あり。心身つらし。

太陽でありし師、今はなく、指標まったく暗し。自己の建設が、指標とならねば。

午前・午後……本部会議室に。小一時間、指導部長、秘書部長と語る。
視野の狭きこと、驚くべし。悲しむべし。

誰人も、先生の遠大なる目的を解せぬことか。われに憂い出(い)づ。

恩師の道を切り拓くのは、われの使命か。重責の感、厳しき日々。


5月19日
夜半まで、一人、師の指導を整理。帰宅、12時50分。

一人の、戸田門下の青年は進む、一人、凛然と、北風と嵐に向かって。


5月20日
自宅にて、師の法要を妻と二人でなす。遅くまで、先生のことについて、妻と語る。


5月21日
自分は部署をもたず、総括的に、指導、運営の中核になる。
先生の、ご境涯を知る人、少なし。淋し。残念。自分が、しっかりせねば。

“先生、どうか見護っていてください。私が、先生の偉大さを、
必ず世界に顕彰し、先生のもとに帰ります”ひとり誓う。


5月25日
一日一日が、責務ある行動に入る。

「先生、逝去後、初めての登山である。多繁な数十日であった。苦しい日々であった。

しかし、弟子は、いつまでも、感傷的になっておられぬ。再び、嵐の中を突進するのだ。

御開扉――真剣に、祈念。登山参加者――一万余。時代の偉大な流れ。

多数の幹部たちは、先生の死を忘れたのか、と憤りを感ずることあり。くやしい。


5月26日
頼みの綱――柱――である先生は、最早、この世におられないのだ。
私が、皆をみなくてはならぬのだ――夢ではない。現実だ。自己に鞭打つ。


5月27日
夕刻――常在寺。新住職の祝賀会。理事長、理事室、青年部幹部、出席。

全く面白からず。先生がいなくなって、威張る人多し、情けない。

われ思うこと多し。われ憂えること多し。

日記を記すことが、夢の中にいるようだ。

わが先生が、脳裏に焼きついて離れぬ、生きておられるのが――真か、亡くなられたのが――真か、混戦する夜中。


5月28日
全く、身体を無理している。大切にせねば。しかし、われは戦う。

帰宅、12時少々過ぎ。


6月1日
真に学会員を思うのは、誰人か。

真に先生の死を悼むのは、誰人か。

真に広布を考えているのは、誰人か。

6月4日
先生の眼鏡のまなざしが、厳しく浮かぶ。大きな温和な顔が、激励にと変わる。
瞬時、自己につきまとう先生の面影。

さあ、元気を出し、今月も、戦おう。

さあ、断じて、今年も、闘おう。


6月12日
昭和28年6月12日。
常住御本尊様を奉戴(ほうたい)して、ここに5年。
自己の信心を振り返る。厳しく。

一日中、涼しい日であった。

先生との、約束を破りしK氏のこと――忘れられず。
われ、広布を実現し、先生の無念を果たすぞ。

待て。じっと待て。忍耐だ。

先生が、先生が、じっと見ておられる。

先生、先生、わたくしを見守っていてください。


6月15日
14日、12時30分――職員たちで軽井沢旅行。
皆、愉しい姿。しかし、私は疲れた。学会の前途をただ考える。

6月18日
夜、先生の指導を綴る。幾人かの心ある後輩と共に。遺品のことも含めて。

今こそ、仏法に説く師弟の道を。ひとり、立派に決意。

6月19日
恩師の100ヶ日、いまだ終わらず。

混沌たる、心境の毎日。皆の心境は、いかなるか。勝たねば、恩師が泣く。

6月21日/在北海道

夜、深思。

1.恩師の100ヶ日、1周忌、3回忌、7回忌までの、学会の方向づけ

2.学会の中心を、誰に、どのように託していくか

3.ご遺族のこと

4.最高幹部の指導のあり方

思索は限りなく続く。

6月28日
学会批判しきりなり。
「追撃の手をゆるめるな」の決意、胸に高鳴る。正義の戦いなのだ。

7年間の構想を、じっくり考察。

6月29日
限りなき想像の発展に……自分の心身をすり減らす思い。悠然たる日々を送りたいと思うが、激務と激動が、所詮、真の悠然たる境地になっているのかもしれない。(中略)

恩師の精神を、ただ叫び続けて、この生涯を送ろう。先生、それでお許しください、と――自問自答。

7月4日
もう7月。昨年の7月は、大阪拘置所。身の不自由。本年は、身は自由なれど、心は不自由。

昨年は、法戦なりとも、先生がおれらて、喜。
本年は、広布の戦いは進むが、先生がおられず、悲。

7月6日/在北海道
私の一生は、戸田先生の遺言ともいうべき構想を、叫び、戦い、達成することだ。これだけが、私のこの世の使命だ。

笑う者は笑え。怒る者は怒れ。

私の信念として、弟子として当然のことだ。その使命に生き抜くことが、絶対、間違いなき信心だ。三世十方の仏、菩薩の照覧もあれ。

7月8日
身体の調子、全く悪し。午前中、休む。旅の疲れか。若いくせに残念。37度8分と体温計。(中略)

10年、20年と生き抜こう。そして、恩師の実証を、厳然と示して死にたい。

7月10日
総本山に於て。
100ヶ日法要終了。納骨の式完了。

先生の全生涯、ここに終わる。先生は、この世におられぬのだ。嗚呼。

生死不二なれば、先生、今ここにあり。お見守りくださいと熱涙。

納骨の墓前にて「先生、お休みなさい」と申し上げる。線香、5本供(そな)う。私と、妻と、博正と、城久と、尊弘の分として。

7月16日
5時より、連合会議。人間なれば、議論沸騰の会合となる。それもよいだろう。新建設の途上なれば。ただ、先生の本丸を護るのはわれしかない。

唯ひとり、家に帰る。暑い日であった。

7年先を目指して、不自惜身命の覚悟で、起ち上がれ。

7月23日
午後より、本部応接室にて、理事室と連合会議。

(1) 8月の行事

(2) 人事の決定

(3) 各支部の分析

一日も速やかに責任指導者の出現を望む声あり。集団指導よりも、と。

夜、葛飾のブロックに出席。

自己の止(とど)まらぬ廻転。

「星落秋風五丈原」を歌いながら帰宅。夜半。

妻の明るい、静なる顔。

7月25日
7月度本部幹部会。豊島公会堂。午後6時。

先生という、柱なき幹部会の淋しさ。終わって常在寺にて大幹部会。足並みそろわず。
所詮、自己保身が、人間模様か。戸田門下生よ、いずこにと嘆く。

私は戦います。先生、見ていてください。

私は闘います。愚人に褒められず。

批判の嵐のなか、先生に褒めていただくために。

7月26日
本部応接室にて、K女史と、学会の将来について、種々語り合う。

一日、一日、心配とのこと。牧口門下生の団結を力説。

7月31日
午前8時50分――K氏と会見。小一時間。

名刺を渡す。ただちに、池田君の名前は戸田会長から聞いておりました、とのこと。

先生の先手には、ただ驚く。

時代よ――急激に変わりゆけと願いつつ、本部へ。

 20年後を見よ、と。


 7年後……大客殿建立。また7年後……正本堂の建設。そしてまた7年、昭和54年……広布への大前進。そしてまた7年……いかなる波浪が前途にあることか

思惟(しい)限りなし。思索、止(とど)まるところなし。


8月28日
一日中、疲れきった日である。

突進をはじめた、荒れ狂う自己の心境をどうしようもなし。怒りは、善悪に通ずる――法戦なればやむなし。

師子王なき今、われは、若獅子として、吼えざるをえない。

8月31日
昨日から歯痛なおらず。熱っぽい一日。

歯医者に、ついに半年も行けず。一体どうなっているのか。

9月9日
戸田先生、逝(ゆ)いて5ヶ月。
長かった。本当に苦しかった。これからの一生の道……死闘が運命か。

9月17日
心身共に、無理の連続。

10月7日
11月度より、支部の組織拡大編成となる。再び、歩む途(みち)は、険しくなろう。私には。

信心深く。一念強く。題目の数か。

10月14日
13日――。
国会乱闘。10年後のわが同志を見よ――と一人秘(ひそ)かに待つ。

10月20日
一日、一日が大事。一日、一日が決戦。

本部を護ることだ。今の使命は。

学会員を厳然と守ることだ。私の使命は。

難よ来れ。われは恐れない。たじろがない。

真の指導者になりたし。智勇兼備の。

11月9日
戸田先生直結の弟子の未来を話す。わかる人あり、わからぬ人あり。

11月10日
恩師の慈悲が、生命に脈々と流れている感じの毎日。

優秀なる人材を欲すること――万感。(中略)

ゆっくり題目をあげる。

恩師の胸中を知り戦う人、多く出でよと祈念。

ご遺族はご多幸あれと祈念。

11月11日
先生の獄中当時のことを記録。将来のためにと。

先生のご指導を記録。後輩のためにと。

法難による入獄の模様に、涙あふれてならぬ。権力の天魔、巌窟王の先生を……。

夜、遅くまで本部。

ひとり、先生の指導を整理。瞬時、胸が熱くなる希有(けう)の指導者……いつの日か、世界に宣揚する日。

諸天よ、仏、菩薩よ、われに長寿を、と祈る。恩師の正確なる、広布の記録を書き留(とど)め、永遠に残すまで……。

そのために、健康に留意したい。そのために、更賜寿命であれ。

11月25日
他宗教との問題しきり。断じて負けられぬ。法を下げることはできぬ。

一日一日、暴風雨の学会。肚(はら)を決め、死を賭して、指揮をとる以外に道なし。

12月10日
微熱あり、37度8分。

宿命の生命、運命の人生との闘争。

遅くまで本部に。職員の給与等を心配する。

来年は一段と苦難が予想されてならぬ。全責任もち、誉れ高き法戦に戦う人は幾人ぞ。前途、厳し。

昭和25年冬……12日、日本正学館の苦難の最中に、先生の詠みし歌を思い出す。

雪ぞ降る 雄叫(おたけ)ぶなかを 丈夫(ますらお)の

嬉しきことは 友どちの愛

私も、今夜、色紙に一詩認(したた)む。

今日よりは 如来の使と 奮い起(た)て

恩師の誓い 果たし死すまで

先生の慈顔、慈瞳が、永遠に見守っておられる。私には……