於保哲外 第5総県ドクター部 白樺・ 医療技術部会合同部員会  

於保 夫妻
於保 夫妻

村の文化と海の文化

厚木平和会館にて 2000.4.23

はじめまして。
数年前の2月、佐渡の見える新潟の柏崎にある牧口記念館にセミナーで訪れました。

この柏崎は牧口先生がお生まれになったところですね。牧口記念館は牧口先生の生家の近くにあります。土曜日で午前中が診療だったものですから、午後新幹線で柏崎に向かい、夜、セミナーに行ったんです。質問会が終わって、夜の10時半頃でした。せっかくだから牧口先生の生家を見てみたいということで、地元の男子部の方にお願いして、牧口先生がお生まれになった家に行ってみました。今でも敷地だけが残っています。間口五間、奥行き九間という区画整理されているんですが、その辺りは全部そういう区画の家が並んでいました。すぐそばに荒浜という海岸があるのですが生家からほんの2、30メートル位のところです。荒い浜と書くように、すごく風がきついところだそうで、私が行った時も雪は積もっていなかったのですが、下から吹き上げてくるような強い風と雪でした。

その荒浜についてどうしてお話しするかというと、牧口先生のお生まれになった地、また時というのが非常に不思議なんですね。この荒浜から日本海に向かって立つと佐渡は右前方に見えます。日蓮大聖人は佐渡に流されますね。流される時、鎌倉街道をずっと北上してきまして、寺泊に着かれました。荒浜からみるとこの寺泊は右手になります。大聖人はそこで何日か風を待たれて、佐渡に渡られました。佐渡に流されて、帰りは2年半後です。今度は柏崎の番神岬(ばんじんみさき)というところに上陸されたそうです。この番神岬は、荒浜から見て左手になるんです。こうして全体を見渡すと、大聖人は荒浜を中心に半円形を描いて、佐渡に渡り、鎌倉へ帰られたんですね。その半円形のちょうど中央に、牧口先生は生まれたことになるんです。それが大聖人が流されてから何年後からみなさんご存知ですか?ちょうど600年後なんです。牧口先生のご生誕は、竜口の法難から600年後ですが、佐渡流罪と竜口の法難は同じ年ですから。大聖人の佐渡流罪からちょうど600年後に、そして大聖人が巡って帰られた半円形の中央に生まれられるという不思議な時と場所の一致を感じました。

こういう不思議さの符合というのは「これで終わらないぞ」と勘が働くんです。「何かあるぞ」ということで思索したんです。そうしましたら、やがて見えてきました。

海の文化、村の文化

日本の文化に2つの流れがあると言われています。
一つは「村の文化」。もう一つは「海の文化」。この「村の文化」というのは、いわゆる「長いものには巻かれましょう」、日本では「世間体を気にする」と言いますね。この世間体を気にするというときの「世間」というのは、実は村なんですね。社会ではないのです。ですから、村を出てどこかに行きますと「旅の恥はかき捨て」なんです。日本国中、どこへ行っても顔見知りの人がいないところは、もう世間ではないんです。したがって「旅の恥はかき捨て」なんです。そういう意味では規則を守るのは村の中だけでいいんですね。ですから、第二次世界大戦の時でも中国へ行って散々ひどいことをしている。若い女性を暴行したり、小さい子どもを虐殺したり、すでに村の外に出ていますから、世間にはいないわけですから中国人に対しては何やってもいいという、そういう普遍的な倫理性が働かないのが村の文化の一つの特徴なんですね。いわゆる日本人にとっての「パブリック=公」というのは、すなわち村なんです。村からどう見られるか。精神医学でも対人恐怖症というのがありますが、この対人恐怖症なんかでも顔見知りが一番問題になります。見知らぬ人はあまり気にならない。つまり世間ではないわけです。顔見知りでない人は世間の人ではないですから、恐怖の対象にならないんですね。日本人の心性の中にこの村意識というのは、現代でも強烈に根づいております。学校や会社も村ですし仲間内も村になるわけです。我々、日本人はこの村から排除されることを強烈に怖がります。いわゆる仲間外れになることが怖い訳ですが、それはこの「村文化」に生きているからなんです。この仲間外れを怖がる傾向は現代の青少年に強く見られる特徴ですから、現代の若者も村文化の中に生きていることになります。我が国の子供のいじめの問題も淵源はこんなところにあるという印象を持っています。

患者は真面目な人が多い

私の所には精神科の患者さんや、喘息・アレルギー性鼻炎・アトピー性皮膚炎とかのアレルギー性疾患の患者さんが主に来られるんですが、今までに一万人以上の患者さんが来られました。その患者さんを見ていつも思うんです。みんな、真面目なんです。世間をみると、真面目な人も不真面目な人もいますよね。ところが、私の所に来る患者さんはほとんど不真面目な人はいないですね。みなさん真面目なんです。一万人くらい来れば、不真面目な方がいてもいいと思うんですがほとんどいらっしゃらない。

どうして、真面目な人が病気になるんだろうと考えざるを得なくなってきますね。そのあたりのことを昨年、聖教新聞の心のページ「ふれあい診察室から」というコラムに「遊びとまじめ」という題で書いたんです。書くに当たって、まず原点に戻ろうと思いまして、広辞苑を開いて「真面目」を調べてみました。なんとですね「真心のこもった顔つき、態度」と書いてあります。ちょっと普通のイメージと違いません?そのまま書いたら、聖教新聞の担当の方が違和感を懐かれたんですね。もう一度、広辞苑をひきなおしたそうです。すると私が調べた広辞苑は第3版で古い版だったんですが今は第5版で新しくなっていて、しかも意味が変わっているんです。「真面目」の意味がここ10年、20年で変わっているんです。こういうことは気がつかないうちに変わっているものなんですね。我々が日常的に使っている真面目というのを考えてみると「周りに合わせる。世間の常識に忠実に随って生きる。日本文化に随って生きる」こういうのを真面目と考えると思うんです。しかし、この日本文化というのがくせ者ですね。私が見るところ病気の原因になる文化なんです。すなわち、謙虚、ひかえめ、謙譲の美徳、奥ゆかしく、男は黙って、女は一歩退いて、人に気を使って、人に合わせて、自分が我慢して、でしゃばってはいけない、いい気になってはいけない、調子に乗ってはいけない、天狗になってはいけない等々、とにかく、一言で言うと「自分を殺せ」と言うのが日本文化なんです。だから真面目な人ほど自分を殺していますね。したがって、真面目な人は個性がないですね。しかも消極的です。

ずうずうしく図太くたくましく

世の中、一つの組織を動かす人や会社を引っ張っているような人は、だいたい図々しいしい人ですね。そして図太い人ですよ。それから常識にとらわれない人が多いですね。しかも、わがままでワンマンの人が多い。こう考えると今の世の中、いわゆる日本文化から見て悪い人が元気なんです。いい人はあまり元気がない。病気になりがちなんです。結局、これを仏法という眼で見ますと、真面目で自分を殺すというのは、妙法の当体を殺しているわけですから、これは謗法になるんですね。妙法の当体である自分自身を輝かしている人は実は考えたら図々しい人なんですね。そうしてみると、例えば良い例が某党の代議士。選挙の当選者インタビューなんかでテレビを見ていると、なんと尊大と言うか、図々しい人が大きな顔をして出ています。そういう人は元気です。勢いがあるんです。そして不思議に福運があるんです。一方、真面目な人は福運がない。よく池田先生が「ずうずうしく図太く、たくましくいこう」と「口八丁、手八丁でいくんだ」とおっしゃいますがそれが正しいんですね。だから今の世の中「悪がのさばっている」と言いますが、悪がのさばっている事も もちろん問題なんですが「いい人が自分を殺す」という、間違ったことをしている事のほうが見えにくいだけにもっと問題なんですね。だから、これからは真面目な人が善い人が思いやりのある人が心優しい人が、もっともっと言いたいことをズケズケ言っていく。正義を主張していく。勢いを増していく。そうなっていくと今のさばっている、自分さえよければいいという人達が、肩身が狭くなっていくでしょう。そうなってこそ牧口先生のおっしゃる「人道的競争の時代」ではないかと私は思うんです。

村の文化

実はこの日本文化、真面目というのが、先ほどから言っている「村の文化」なんです。出すぎた真似をすると村八分になるんです。白黒はっきりさせる人は嫌われるんです。村の文化の一番良い例が私は村山内閣だったんではないかと思うんです。あの村山内閣の時に阪神大震災が起きました。その時の政府の対応にみんなが腹を立てました。一番困っている人を何で救わないんだと。それに対して政府は言う。「従来の慣例通りにしかできないので仕方がありません」「全体としての救済はできますが、個々人としての救済はできません」本当に無慈悲な政府ということを露にしましたが、実は、村の文化というのは、そういう無慈悲な文化でもあるんです。人間よりも組織を優先するんです。ですから人間を抑圧していくという文化ですね。こういう文化が日本文化の大勢を成しているんですね。

海の文化

一方、もう一つの日本文化がある。これを「海の文化」というんです。野茂投手がアメリカの大リーグに行きました。行く時にちょうど、アメリカでは大リーグがストライキをしていました。行ったところでどうなるか分からないという情勢でした。また大リーグに行っても、野茂が通用するのかと非常に危ぶまれた。多くの日本人やマスコミは、こぞって叩きましたね。「なんで行くんだ」と反対しました。しかし野茂は淡々と行きました。気がついてみるといつのまにかオールスターに登場していた。そうなると日本のマスコミは手のひらを返したようにアメリカに出かけていきました。そして野茂に「日本の国民のために頑張る」と言ってもらおうとするんですが、野茂はそう言いませんね。「楽しんで投げてきます」と。しかも彼は、英語がペラペラかと思うとそれほど得意ではないのでしょうね。勝利者インタビューでも通訳がついて話しています。我々はよく心細くないなと思ってしまいます。この一連の行動を見ていると、どうも野茂は、一般の日本人的感性ではないなと感じていたんです。そうしましたら、調べた人がいました。野茂は大阪の生まれだそうです。しかし両親は五島列島の出身なんですね。この五島列島というのは、昔の室町時代や戦国時代に、朝鮮沿岸や中国沿岸などを荒し回った倭寇の拠点の島の一つだったんですね。今でも、海の男の島なんだそうです。したがって、そういう文化を両親が持っていた。そういう中で育っているんですね。この「海の文化」というのは非常に自立的ですね。そして非常に活動的かつ開放的なんです。ですから戦国時代に東南アジアに日本人町を作ったりしていて、非常に大胆で行動的です。

一方「村の文化」というのは非常に世間体を気にし、また保守的で、そして自分の意見は言わない。表面はにこにこしていても本音は違う。建前と本音を立てわけるという特徴があるんです。この二つの文化の流れが日本文化の中にある。あちこちに行ってこの話をしますとおもしろいですね。やっぱり海側はそういう「海の文化」が強いんです。山側は「村の文化」が強いんですね。ちょうどその両方が一つのゾーンになっているような地域に行くと、そこの幹部が、「なんで同じ創価学会なのにこんなに違うんだ」と言っています。この話をしますとはっきり納得していただけるんですが日本全国にこの二つの文化の流れがあるんです。

大聖人、三代会長は海の文化

日本のほとんどの宗教・哲学は、この「村の文化」をベースに出来上がっているんですね。しかし唯一「海の文化」の宗教がある。それが日蓮大聖人の仏法なんです。日蓮大聖人は「旃陀羅が子」といって「漁師の子」なんです。すなわち海の文化なんです。ですから身分制度が絶対的な力を持つ時代において「旃陀羅が子」と自らを宣言された。「旃陀羅」というのは、サンスクリット語で「チャンダーラ」です。すなわちカースト制度の最下層「不可触賤民(触れることさえはばかられる賤しい民)の子どもであるということ」を誇りとされたんですね。少々、頭が悪かろうと、スタイルが悪かろうと、人柄が悪かろうと、身分さえ高いところに生まれれば何でもできる時代だったんです。その時代の最下層ですからね。かたや大聖人が戦った相手は国家権力の最高峰なんです。何の後ろ盾もなく、それと真っ向からぶつかる。これはすごい対比だと私は思うんです。まったく身分とか権力を持たない大聖人と、方や権力の最高峰。ぶつかりあって、大聖人が「わづかの小島の主らが」という言い方をされる。これは村の文化の人からは畏れ多くて言えない言葉ですね。海の文化の大聖人にして初めて言える言葉だったんです。大聖人の仏法というのは、まさに「海の文化」の思想です。そういう意味では、非常に自立している。また、活動的で進歩的です。そして開放的なんです。ところが、この大聖人の仏法が大聖人亡き後、お山の宗教になるんですね。村化していくんです。村の文化に毒されていくんです。それが行き着いた先が「法主絶対」。したがって我々が行っても「お目通り叶わぬ身」と。そういう発想になっていくんです。この階級制が強いというのも「村の文化」の特徴です。昔の村というのは、小作人だと庄屋さんの土間にはいつくばらなければだめだったんです。門を建っていい家といけない家があるんですね。服装までも身分で決まってしまう。

一方「海の文化」というのは、大体貧しい家が多くて差があまりなかったんですね。その「海の文化」の大聖人の仏法も「村の文化」化したんです。そして700年経ちました。牧口先生は荒浜の漁師町の生まれなんですね。「海の文化」の中で育っているんです。ですから、牧口先生は「村の文化」の発想ではないですね。戸田先生も北海道の漁村の厚田で育ちました。生まれは石川県の漁師町です。先祖は江戸時代、日本海航路で活躍した北前船の船頭だったそうです。まさに海の男の系譜なんですね。池田先生も海苔屋の息子さんです。こうして見ると、創価学会の歴代会長は全部「海の文化」なんです。大聖人と非常にストレートにつながっているんですその間に村化した部分をのぞいて。非常に興味深いのは、私の先輩の創価大学の宮田教授が、牧口先生の研究をされております。牧口先生が、もし宗門と直接出会ったらおそらく入信しなかっただろうと書いておられました。牧口先生は、創価教育学の土台になりうる宗教を求めていらっしゃった。自立的かつ論理的である宗教です。創価教育というのは、生徒を温かい心で見る、そして人間の可能性を開く、そういう教育ですからその土台となる宗教を探されたんです。そして、日蓮正宗に出会うんです。当時堀米尊師が中野の歓喜寮というお寺ではない、出張所をつくられていたんです。この堀米尊師は、早稲田大学で哲学を勉強されていて、これからの仏教は、寺仏教ではもう何の貢献もできない。だから在家の人たちが活躍できる在家仏教、そういう宗教運動を起こしていかなければならないという危機意識で歓喜寮を作られたんです。その堀米尊師と牧口先生が出会ったものですから、いわゆる在家仏教運動と、牧口先生の創価教育学とが丁度合致したわけです。そこから人間主義の宗教運動が始まったんです。しかし宗門側から見れば、これは今までの宗門の伝統にはない運動です。したがって、宗門から見れば最初から、創価学会は「生意気だ、信徒が大きな顔をするな」というのがあったわけです。これはまさに「村の文化」と「海の文化」の対立と言っても良いでしょう。狸祭り事件とか今までにいろいろありましたが、全部淵源はこの元々の文化の違いにあるんですね。いよいよ、その事が明確になったのが、現在の宗門問題が起こってからの、今の創価学会と宗門の関係になっているわけなんです。そういう意味では、起こるべくして起こった事と私は思っております。実は、今まで話してきたことはこれから話したいことの前提なんです。非常に長い前提で申し訳ないんですが、ここで仏教の原点に戻って自分自身に目を向けてみましょう。

自分に100点をつける

今の自分に点数をつけるとすると100点満点で何点くらいつけるでしょうかね。ちょっと考えてみて下さい。0点から60点の間くらいに大体自分は入るなと思われる方?手をあげて下さい・・・ありがとうございます。じゃあ 61点から99点までの間だと思われる方?手をあげて下さい・・・この辺がふつう少ないんです。さっきの0点から60点までが非常に多いんです。それでは100点と思う方?・・・お二人。ありがとうございます。
このお二人以外は、全員信心していないことになるのはおわかりですか?大聖人の仏法というのは先ほど図々しく、図太く、たくましくとありましたが、自分を100点満点と見る宗教なんですね。これは非常にわかりにくい。信心。信じる心と書きます。何を信じるか。御本尊ですね。また法華経でしょう。では法華経を信じるというのはどういうことなのかと考えてみると、自分自身が妙法の当体であると信じることですね。頭は妙、喉は法、胸は蓮、腹は華、足は経。自分のこの生命が南無妙法蓮華経なんだと、妙法の当体なんだと信じることが信心だと教学で学びましたね?とすると、自分自身を60点ということは、南無妙法蓮華経如来を60点とつけることになってしまいます。難しいところなので、角度を変えてお話ししてみます。

不思議法則

以前、こころのページの「ふれあい診察室から」というコラムに「不思議法則」というのを書いたんです。いろんな人を見ていると、真面目な人、頑張り屋の人、責任感の強い人、また思いやりのある人、自分のことを顧みず尽くす人、こういう人が不思議に行き詰まっている。真面目な人が、頑張っているのに不思議と開けない。そこまで人に尽くしている人が、有り難がられるどころか、かえって迷惑がられたり、バカにされたり、ひどい場合は恨まれたりしている。そういう人を見たことありません?真面目な人が意外と開けない。そうかと思うと、ちゃらんぽらんで図々しくて、要領よく立ち回っている人が、やることなすこと意外とうまくいく。うまくいくものですから、ますます人に持ち上げられて、ますます開けていっているという現実がある。私はいろんな人の人生に出会う場面が多いものですから、よくそういう現象を見るんです。正直者がばかを見て、悪い奴ほどよく太ると。「なぜなんだろう?」最初のうち分かりませんでした。私はちょうどそういうことを研究できる立場にありまして、その結果だんだん見えてきたことを「ふれあい診察室」に書いたんです。最初抵抗がありました。これはちょっと問題あるから載せてくれるかな、カットされるかなと躊躇したのですが、あえて書きました。おそらくそういうことで悩んでいらっしゃる方があるだろうから、そういう人のためにと思って書いたんです。幸い載せてもらえました。そうしたらやはり何件か問い合わせがきました。「書いてあるとおりです。私は去年まで一生懸命、折伏し、新聞啓蒙し、また財務も頑張り、全力で戦いました。ところが、病気になって、今は生活保護を受けています。なんで、こんなに頑張っているのにこうなるのか、わからない。そうなると書いてある、そう書いてあるけれども詳しく書いてないから、よくわからない」ということで問い合わせがきまして、早速お返事を書いて後で喜んでいただきました。実はこういう現象が起きる原因は、その奥に一つの法則があるからなんですね。その奥の法則を「不思議法則」と勝手に名づけたんです。どういう法則かというと、例えば困っている人のため、家族のため、また学会活動のため、広宣流布のため、世界平和のため、世の中の正義のために戦う。だけど我慢して、自分を殺して、すなわち、自分を粗末にしてやる人は、福運を失う。したがって、自分を粗末にしているように、人からも粗末にされるようになっていくという法則なんですね。「私さえ我慢すれば、私さえ耐えていれば、いつかこの苦労が実るときが来る。それまでの辛抱だ」「陰徳あれば陽報あり」なんだからと。やればやるほどひどくなるんです。これでもかこれでもかというくらい、ひどい目に遭うんです。つまり、これは陰徳にならないんです。どうしてかというと、妙法の当体を殺しているからなんです。

法華経は喜びの経典

同じ事をやっても自分自身が喜びながら、楽しみながら、自分の命を輝かしながらやることは、これは福運になっていくんです。したがって、自分を大事にしているように、人からも大事にされていく。ちょうど今月のSGIグラフ(2000年5月号)の中で奥様のことを池田先生がおっしゃられています。いつも奥様は微笑まれている。
「幸せだから微笑むのではない。微笑んでいくことが幸せの因になっていくんだ。幸せだから微笑む、幸せの結果として微笑むんじゃないんだ。どんな大変な時も、そこでにっこり笑っていく、その命に福運が増していくんだ」という意味の一節がありましたが、まさに不思議法則です。

たとえば「折伏すれば開ける」「新聞啓蒙すれば幸せになる」また「財務に何桁に挑戦すれば幸せになる」こういうのを餓鬼道と言うわけです。見返りを求めている。したがって、やっても開けなかったら恨みになってしまいます。菩薩道というのは違うんです。大聖人は「自他共に喜ぶなり」といわれています。有名な徳勝童子の譬えがありますね。みんながお釈迦様に供養している様子を見て僕も何か供養したい。でも何もさしあげるものがないから、土饅頭をこねてさしあげた。その功徳で阿育王に生まれ変わることができたという話しです。ところで、もしこのとき、徳勝童子が、土饅頭をお釈迦様にさしあげれば、後で功徳がある。それを期待して土饅頭をさしあげる、という取引のような気持ちでやっているとしたら、その心には、福運はつかないでしょう。真心から喜んでしていく。その命に福運がつくんですね。ギブアンドテイクではないんです。いわゆる自己犠牲精神じゃないんです。一生懸命、自己犠牲精神で頑張っていればいつか功徳が出てくるだろうというのは間違いですね。この不思議法則。自分を輝かせながら生きていく方と、自分が我慢していく方と、池田先生はどっちでしょう?明らかに前者なんですね。喜んでやってらっしゃるからあんな詩が書けるのでしょう。嫌々、苦しみながらではあの写真は撮れないでしょう。

(会館の壁にある池田先生が撮られた花畑の写真を指差しながら)

池田先生の写真を見てみてください。先生の写真を見ていつも思うんです。あれを見ていると、ちょうど女子部や婦人部が「先生!」って言っているのと同じように感じません?あの花々が。我々が撮るとなかなかああいう感じにならないですね。花がただそこに咲いているって感じになるんです。しかし先生の写真には、訴えかけてくるものがある。どうしてだろうと考えました。そしてつくづく思ったんです。法華経というのは「喜ぶ経典」なんですね。池田先生は喜んでいらっしゃる。喜びの生命に自然が感応しているんですね。その喜んでいる自然を撮っている。だから「自然との対話」と名づけられたんですね。この話をある芸術部の人にしました。すると、その方が以前、先生と会食した時、先生が「みんなには分からないかもしれないけれど、僕は自然と話ができるんだよ。その対話の写真なんだよ」とおっしゃられたそうです。この不思議法則。不思議というのは妙。法則は法。すなわち妙法なんですね。したがって妙法の当体を粗末にする人は福運を失うのです。
妙法の当体を輝かせる人は、福運を増していくんです。現実にどういう行動をとっているかということは大事です。しかし自身の本心がどっちで生きているのか。自分の生命を輝かせ楽しみながら生きる方向なのか。自分を卑下し、追いつめていく方向なのか。その生命の奥底がどちらに向いているかがさらに重要なんですね。

この辺で、もう一回聞いてみたいんですが、この中で自分のことを100点と思う方?・・・(爆笑)素直な方が多いですね。

胸中の本尊を供養する

私たちは、朝晩勤行します。二座の御観念文は本尊供養です。
「一閻浮提総与三大秘法の大御本尊に南無し奉り報恩感謝申し上げます」
この二座の本尊供養のときに、この本尊を自分の事と思ってやっていますか?みなさん「仏壇の中の御本尊」だと思っていませんか?そういう人を指して大聖人は「若し己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらず」(御書P384)とおっしゃられている。すなわち、法華経じゃないんです。
また別の御書でも
「此の御本尊全く余所に求る事なかれ只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」(御書P1244)

此の御本尊は「胸中の肉団に」自分の生命に「おはしますなり」と勉強したはずですが、実際勤行をする時は自分の生命の外に置いていますね。不思議なんです。学んだこととやっていることが違うんです。どうしてか?実は日本文化に、さっきの「村の文化」に毒されているからなんです。「村の文化」というのは実は「念仏文化」なんです。「念仏文化」というのは自身の外に絶対の対象を起きます。したがって御本尊絶対なんです。大聖人絶対なんです。そこで福運のない境涯の低い、力のない私たちは偉大な御本尊様におすがりし、その功徳をその智慧を分けていただこうと。これを「念仏文化」というんですね。御本尊を阿弥陀仏に置き換えたらぴったりするでしょ。「情けない私たちは阿弥陀仏の慈悲におすがりしましょう」という構造です。法華経は違うんです。そのことを池田先生は「法華経の智慧」で四年半にわたって展開してくださったんです。この「法華経の智慧」の中で、一番明快にそのことをおっしゃっているのは見宝塔品の講義のところですね。「見」=見る「宝塔」=宝の塔。宝の塔を見る。この宝塔というのは法華経の中で出現するわけですが、この宝の塔は高さ五百由旬、一説によるとヒマラヤの500倍以上の高さなんです。富士山の1000倍以上ですから壮大です。しかもそれは瓦礫の山ではない宝の塔です。非常に荘厳である。また壮大である宇宙規模である。この偉大な宝の塔は、実は我々の生命の偉大さを表している。すなわち我々の生命が宇宙規模の壮大な、また荘厳な、そして永遠性をはらんだ存在なんだと実感する事それを見宝塔と言うんですね。大聖人はこの宝塔品の儀式を借りて御本尊を顕された。したがって御本尊は、我が身を偉大な宝塔と見るための明鏡、明らかな鏡であると明快におっしゃっています。ところが我々はそれを勉強しているのに、現実は鏡の方を崇め奉って、鏡に映る自分は情けないと見るんですね。いかに深く念仏に毒されているかです。だから、この不思議法則の「自分さえ我慢していれば」という方向に行ってしまうんですね。喜べないんです。楽しめないんです。いい時には喜べるけれども落ち込んだら、とたんに「情けない」って言い出す。法華経というのは「最悪の自分が偉大だ」と説く経典です。この法華経と爾前経の差。これを権実相対といいますね。どうして法華経が優れ、爾前経が劣っているか。教学的には、二乗成仏、悪人成仏、女人成仏が説かれるからですね。すなわち悪人とか女性とか二乗(声聞、縁覚)この人たちは大乗経典の説かれた時代、世間から相手にされない存在だったんですね。したがって大乗経典はその人たちを救わなかった。ところが法華経は、世間が相手にしない差別された人たちを実は偉大な存在であると説いたんですね。非常に革命的な思想でした。本当の意味での人間主義でしょう。

落ち込んだ自分に100点を

さらにもう一歩突っ込んで、権実相対を生命論的に捉えてみると、二乗、悪人、女人というのは、実は自分自身の一番落ち込んだ自分なんです。一番情けない自分なんですね。人と比べても劣っていると思わざるを得ない、その惨めな境遇の自分こそ、実は偉大な妙法の当体なんだと信じること。これが法華経を持(たも)つという意味なんですね。だから難信難解なんです。元気な自分や絶好調の自分や、また人からもてはやされている自分を偉大だと見ることはまぁできる。だけど困難に立ち往生した自分、大失敗して人からもバカにされて、落ち込んでいる惨めな自分を偉大と見ることは、難信難解(信じ難く、理解し難いこと)でしょう。しかし、そこに立ってこそ法華経なんです。

慈悲の意味

我々は「慈悲のドクター部たれ」と指針をいただいています。私はこの「慈悲」について、ずっと解ったようで解らなかったんです。「慈しむ」これはわかる気がする。しかし「悲しむ」がよく解らない。一緒に悲しむとか、同苦するとか、同情するとか、解ったようでわからない。そんな時に、池田先生のエッセーの中の次のような意味の一節を目にしました。「魂の勝利する時、悲しみは『慈悲』の『悲』となる」。これを見て気づいたんです。今までは「慈悲」を「慈しみ、悲しむ」と読んでいたんです。そう読むからわからなかったんですね。素直に、漢文読みすると返り点がついて「悲しみを慈しむ」となるんですね。すなわち一番落ち込んでいる自分、一番惨めな境遇に苦しんでいる自分、また一番不安がっている自分をこそ大きな心で包んであげる。温かい目で見守ってあげる。それが「悲しみを慈しむ心」すなわち「慈悲」であると。最悪の時に自分をその慈悲の心で包む。そこに魂の勝利の姿がある。その生命で自分を包める人は、もう悲しみは単なる悲しみではない。慈悲の心に包まれたその悲しみは、そのままで勇気に転ずるであろう。また絶望は希望へと転じていくだろう。その生き方の中に本当の意味での人間の魂の勝利の生き方がある。そういう心で自分を包める人は、また絶望に苦しんでいる人を我が事のように温かい心で包んであげられるでしょう。でも落ち込んだ自分を、こんな自分は情けないと嫌う人は、そこから立ち直った後で同じように落ち込んだ人を見ると「かわいそうに」とは思うでしょうが心の奥底では「弱い人だな、自分に負けてだらしない人だな」と見るでしょう。自分を見る目が他の人を見る目なんです。したがって最悪の自分を慈悲の心で「大好き!」と大きく包みながら「偉大なんだ」と本当に尊敬できる人は、また他の人をも尊敬できていくんです。

御本尊を持つ

「御本尊」と言いますが「本尊」というのは「根本尊敬」を略した言い方ですね。この根本の「本」と尊敬の「尊」で「本尊」ですね。これは池田先生の指導ですが「何を根本として尊敬するのか。それは自身の生命である」自分の生命を根本として尊敬する。根本ですから、何かができるから尊敬するのでもなければ、大失敗をしたから尊敬できないのでもないのです。どんな境遇にあろうとも自身の生命の尊敬から出発する。これが御本尊を持(たも)つということです。これが大聖人の仏法なんですね。

この中で自分のことを100点と思う方?(笑)・・・ありがとうございます。

千仏と獄卒

素直な方が多いですね。まだ手があがらない方がいるようですから、最後に一つだけ。御書の中に
「然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ 全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、此の事但日蓮が弟子檀那等の肝要なり法華経を持つとは是なり」(御書P1337)
これは有名な生死一大事血脈抄の一番重要な御文ですね。この中で「久遠実成の釈尊」とは大聖人のことですね。「皆成仏道の法華経」とは御本尊。「我等衆生」というのは自分自身。したがって大聖人と御本尊と自分自身がまったく差別なしと解りて(信じて)南無妙法蓮華経と唱え奉るところに生死一大事の血脈があるのです。したがって自分のことを60点と見る人は御本尊のことも60点、大聖人も60点ということになりますね。まったく差別無しですから。こういうのを謗法って言いません?いや、大聖人や御本尊は100点だけど、私は60点だと思う人は「全く差別無し」と信じません、ということになりますから、こういうのを不信というでしょ。したがって、自分のことを100点と信じない人は謗法不信の人になるんですね。
この御文の後ろに
「謗法不信の者は「即断一切世間仏種」とて仏に成るべき種子を断絶するが故に生死一大事の血脈之無きなり」(御書P1337)
「謗法不信の者は」自分を100点満点と信じられない人は「即断一切世間仏種」すなわち一切世間の仏に成る種を断つ人だ。
「法華不信の者は「其人命終入阿鼻獄」と説かれたれば定めて獄卒迎えに来つて手をや取り候はんずらん」(御書P1337)
したがって、臨終のときには、地獄の獄卒が手を取り迎えに来るでしょう。
「所詮 臨終只今にありと解りて信心を致して南無妙法蓮華経と唱うる人を「是人命終為千仏授手令不恐怖不堕悪趣」と説かれて候、悦ばしい哉一仏二仏に非ず 百仏二百仏に非ず 千仏まで来迎し手を取り給はん事歓喜の感涙押え難し」(御書P1337)
自分を100点満点の仏なんだと信じて喜び、大安心の境地で生きる人は千仏までも来迎し臨終を支えてくれる。「歓喜の感涙 押え難し」。獄卒が迎えに来る方か、千仏が迎えに来る方か、どちらがいいですか。

ここで手が上げられない人はもう二度と上げられないでしょうから、覚悟してください。では最後に聞きたいと思います。半分脅迫ですけどね、私が脅迫しているんじゃないですよ。大聖人の仰せですからね。
「自分自身のことを100点満点だと思う方?」・・・(爆笑)ありがとうございました。