代々の会長の指導と、そういうモノを思い合わせた時に、こういう風に拝んでいけば功徳が必ず早く出るな、というポイントがいくつかありますので、それを皆さんに申し上げる。

これはガンにも通ずるし、目にも通ずるし、病気にも通ずるし、経済にも通ずるんです。一つの南無妙法蓮華経が。
私は経済だから経済だけを治してもらいたい・・・そう思っちゃいけないんです。何故かというと南無妙法蓮華経と言うのは命ですから。自分の中にある命ですから、それがグーンと出てきたら自然に幸せを呼ぶんです。

「磁石の鉄を吸う如く」「幸を万里の外より集むべし」

幸せを呼ぶんだから、お金を呼ぶわけです。家出の息子なんか、すぐ呼んじゃうよ。呼ぶ力は中にあるんだから、御本尊が出してくれるんですから。
それから

「いかなる病、障りをなすべきや」

病気を治す力が中にあるんですから。
体の中にある南無妙法蓮華経を外の御本尊を拝んで出すんです。
池田先生は「拝む人の生命の中に黄金の大宝がある。」
その人の中に黄金の大宝がある。金の様にピカピカ光る輝かしい強い強い幸せな命があるんだ。それが南無妙法蓮華経という命なんです。大聖人様も「私と同じ命があなたの中にあるんだ」というんです。
それを我復於彼中・・・我も復(また)彼の中に置いて。
私はあなたの中にだっていますよ。御本尊様が。だから御本尊様が体の中に湧いてくるって事ですよ。御本尊を拝むって事は。

御本尊から乞食がモノをもらうように功徳が来るかなぁ、来るかなぁ、何も来ないなぁ、それで嫌になっちゃうんだから。
そういう拝み方をしていると外道。外に御本尊があると思って拝んでると外道。中に沸かしてもらうんだぁっていうのは内道なんです。これだけで功徳は違っちゃうんです。全部、中と外との交流なんです。

空気というのは、外にもある、でも中で呼吸してるから生きてるんです。中の空気も外の空気も同じなんですよ。外にどんなに空気があったって窒息したら、もう終わりです。そうでしょ?だけど外の空気も中の呼吸の空気も同じ。外の御本尊も中にある南無妙法蓮華経も同じなんです。

違う所が一つある。中にある南無妙法蓮華経は形がない。自分の中にある南無妙法蓮華経は形がないんです。働きだけあるから、見えないから。色も形もなくて南無妙法蓮華経って働きがあるから仏性っていうんですね。仏の性分があるわけです。

みんな持ってるわけです。赤ん坊だって持ってる。年寄りだって持ってる。アメリカ人だって持ってる。インド人だって持ってる。どんな人の中にも南無妙法蓮華経という命があるわけです。仏の性分だから、仏性。怒る働きもあるんですよ、コンチクショウ。お金がなくて困る働きがあるのは貧乏性っていうんです。
で如是相っていうんです。如是相、如是性、如是体。みんな持ってんだから。如是相。命があったら必ず顔、形があるわけです。如是相。同時に中に働きがあるんです。あの人は優しいとか、怒りっぽいとか、あの人はノンビリだとか、あの人はおっちょこちょいだとか。そういう性分というものが、みんな根性持ってるじゃないですか。だから仏の根性を仏性。その仏性が体の中にあって見る事が出来ない。自分の中にもぐってて見る事が出来ない。色も形もない南無妙法蓮華経です。それで一番近くって見えないから