門真文化会館

平成10年2月14日

✔︎『具体的に祈る』

1000万遍の唱題をしていた婦人部の人がいました。全然よくならない。願いが叶わない。
「いつまでに、どういうふうになりたいか、具体的に祈ってますか?」
と先輩から指導を受けて、その通りに祈ったら2週間で結果が出ちゃった。

・一念の因果

婦人部の方はよく「唱題会」を開きます。唱題するのは立派です。
でも「唱題会」で仕方ないから会合に出ていくんじゃダメです。10時間唱題を組織の唱題会では絶対にやらないことです。拷問の一種です(笑)10時間唱題は個人でやってください。みんなでやると最後は地獄ですから(笑)唱題するなら我が家のご本尊と一対一でやってください。百万遍やっては落ちこんでいる人がいますけど「行動の因果」じゃない。
一念の因果です。一念に功徳があるんです。ただのお題目では功徳がないことがあります。

・変わるための信心

皆さんは、よく「頑張りま~す!!」って決意してますね。でも信仰は頑張るためにあるんじゃない。「変わる」ためです。何を変えるのか??「生活」を変える、「境涯」を変える、「環境」を変える。そのための信仰です。「頑張りま~す」じゃなくて、変わろうとして頑張る、変わるために頑張るんです。「変わりましょう」「変わります」「変わりました」これを信心の三段活用といいます。「何をどう変えるのか」がないと、空回りします。「頑張りま~す♪」っていうのは、やめましょうよ(笑)でも今日も帰りにはみんな「頑張りま~す♪」って帰っていくんでしょうね。変な信心(笑)

・キョロキョロ信心

形はお題目をあげている。御本尊の前に座っている。でも“一念”がキチンと御本尊に向いているかどうかが問題です。「何をいつまでにどうするのか」を祈るんです。祈れば必ず変わります。

惰性、決意・目標が曖昧、迷い(方法論)の唱題。「どうしよう、こうしよう」。これをキョロキョロ信心といいます。ダメだろうなと思っている。これは祈ってないんです。祈った分しか叶いません。願わないと叶いません。こうなりたい、こうしたいというのが祈りです。

・カメラのCM

具体的に強く祈る事です。信心は簡単です。正月にフジカラーの宣伝がありましたね。「今年も良い事がありますように」といったら七福神が「具体的じゃないからダメー!」ってバツしましたね。
それで「今年は彼女ができますように」っていったら「顔はダメでも真剣だからマル!」っていってましたよね。あれ、正しいんですよ(笑)

・願ってお任せする

御本尊に「願って任せて、後は宜しく!」でいいんです。これが「南無」です。南無っていうのは南が無い、というんじゃないんです。「命をお任せします」っていうことですから、願ってお任せってことなんです。「お願いします。でもダメでしょうね」(笑)
これを「半南無」といいます(笑)この一念が叶っちゃうんです。「ダメでしょうね?」「ダメだよ」とこうなる(笑)「こうします!!」って命を決めるから結果が出るんです。

・ギアをいれる

同じように勤行して、唱題して、活動して、変わる人がいれば、変わらない人・悪くなる人もいますね。これは一念の違いで決まるんです。
「変わろう。こうなろう」としている人を、「前向きの信心」といいます。この人は変わります。車でいうとドライブ。
惰性と義務、呼びに来るから、幹部だから頑張っている人を「横向きの信心」という。この人は現状維持の信心です。この人はニュートラルです。車は前へ進みませんから。やっていることは間違っていないんですけどね。

不信と怨嫉、愚痴、文句で頑張っている人は「後ろ向きの信心」といいます。これは後退の信心です。頑張っちゃ愚痴、頑張っちゃ文句で、バックギア入れて後ろで寝てる亭主をひき殺している婦人部が沢山いますよ(笑)
過去のことを反省しちゃいけません。やっちゃったものは仕方ありません。落ちこむだけです(笑)反省は猿だけで充分です。これから決意して同じ間違いをしないこと。これが本当の反省です。1000×0は0です。がんばっては文句言ってる。この人の言い分は正しいんです。これを正しい愚痴という(笑)。でも愚痴は愚痴なんです。愚痴は不信から出ますから功徳を消してしまいます。祈れば叶うのにね。信仰は良くなれば勝ちです。仏法は勝負って言うでしょ。言い分が正しくても文句を言っていてはダメです。勝てばいいんです。1000×-0.1は-100です。怨嫉は謗法だからマイナスになります。相手が間違ってても感情ゆえに怨嫉になる。これを正しい怨嫉っていうんです(笑)相手の成長を祈ってあげるんです。幹部がダメな場合、幹部の成長を祈ってあげるんです。

・嫌な同僚

ある女子部から手紙がきました。職場の嫌な同僚が辞めるようにと祈っていいかと質問してきた事のある人です。相手の成長を祈り始めると、その人が、ある朝の朝礼で突然号泣しながら「もう人の嫌がる事はしない」と言い出したそうです。相手の成長を祈ったから相手が変わったんです。

・正しい怨嫉

みんな結構「あの人は変わらないよ!」と思って祈らないもんです。婦人部は亭主を恨んでも無駄です。亭主は変わろうなんて思ってないんだから(笑)悩んでないもの。そんな亭主を選んだのは自分なんだから自業自得です(笑)自分が変わらなきゃ。姑恨むのも無駄です。嫁と姑は昔から仲が悪いと決まっている。天敵同士ですから。姑にしてみたら、娘には苦労はさせたくない。嫁には苦労させたい。嫁にしてみたら、親の欠点は許せても姑の欠点は許せないものです。嫁に苦労はさせたくない、姑の欠点を許してあげる、そうお互いに祈っていかなけりゃダメです。壮年部に怨嫉しても無駄です。動かない、祈らない、成長しないって、壮年部は昔から決まっているんだから(笑)壮年部は頼りにしない事です。頼りにするから腹が立つ(笑)壮年部は未来部なんです。悩んでないから(笑)育ててあげるんです。こう言うと壮年部が喜んじゃう。喜んでる場合じゃないのにね(笑)
バケツに穴が開いていたら水が全部漏っちゃう。婦人部は功徳を受けないように、功徳を受けないようにって、いつも頑張りすぎ(笑)。行き先を決めて、予定立てて行動するから目的地に到着する。今日だってそうでしょ?2時半に会館に来ようと思って来たからここにいるんでしょ。偶然ここに来た人はいないでしょ。連れられてきた人はいるでしょうけど。何も目標もなく信心している人は「お散歩信心」というんです。やらないよりはマシなだけ。

・宿命の暴走族

東京では夜中にトラックが走ります。暴走族も走ります。トラックには目的地がある。でも暴走族に目的地はない。ぐるぐる回っているだけ。学会にも宿命の暴走族がたくさんいます(笑)

・願いの叶う信心

何をいつまでにどうするのか、具体的に祈っていけば結果が出る。いくつ祈っても構わない。90項目目標を決めて、お題目をあげて3ヶ月で全部叶っちゃった人がいる。次に110項目目標を立てても全部叶う。お題目あげるのが楽しくてしょうがないって言ってる。それを見て幹部が「へぇ、願いって叶うんだ」なんて言ってる(笑)
的が曖昧では矢があたるわけがない。具体的に、強く、そして努力と工夫で祈りは叶うんです。
今日の話はこれに尽きます。あとは何もありません。

・実証とは?

今の日本はお先真っ暗の崩壊寸前です。私たちにだけ希望がある。夢、希望、ドラマ、喜びがある。こうなればいいなという「夢」、こうしようという「希望」、強く祈っていくところに「ドラマ」が生まれ、祈りが実現することによって「喜び」があふれる。希望を実現させるのが信仰なんです。信心していれば夢が叶うのではない。頑張っているだけでは夢は夢のままです。良く変わっているか、悪くなっているか分からないのが惰性です。
「変わりました」っていうのが実証です。変わることで周囲に納得の輪が広がる。これが仏法の証明です。自分が変わった分しか仏法を証明できません。自分は変わってませんけどやってみませんかっていうのは詐欺ですよ(笑)
惰性の人の信心は、川に流されているようなもんです。流されて溺れかけている人も結構いますよ(笑)自分が決めれば後から道はついてくるものなんです。

・無理を承知で強く祈る

妙法とは不可思議ということです。方法がないから祈る。無理だから祈る。そこから信仰が始まるんです。
大事なことは道を探さないことです。願いを叶えるには具体的に強く祈るのがコツです。こうしようと祈って叶うのが成仏です。自受用身というのは「ほしいままに受け持ちいる身」という意味です。そうなるための信心です。
よく「守られてるわぁ」っていいますよね。守られるっていうのは最低条件ですよ。関西では「儲かりまっか?」でしょ。儲かるのが功徳です。儲けなきゃ。
サラリーマンならば儲かるのは会社です。でも会社が儲かることによって自分に信用と福運がつく。福運がついたら会社が潰れても、またいいところに就職できるんです。「守られてる」のは最低ランクです。「守られ」て当たり前なんです。結構「守られてる」だけで満足しているんですね。ケチ(笑)

祈って悩めば最高の知恵がいただける。
そして努力と知恵で諸天の加護を受け結果が出る。これが法華経の兵法です。凡夫の知恵は捨てることです。これは大事なポイントです。
無理だから祈る、困ったらご本尊です。門真はレンコン畑で有名ですね。レンコンって蓮のことですよね。泥の中で華を咲かせ実証を示していくのが地涌の菩薩の使命です。現証でしか証明できません。

・素晴らしき生命

仏法は目に見えないんだもの。仏法が素晴らしいのではなくて生命が素晴らしいのです。華を咲かせていきましょうよ。新入会のメンバーには体験が多いですね。中古会員には華が咲いていませんね。やっている事は正しいんですけどね(笑)「功徳受けてないけどやってみない?」これじゃ詐欺です。功徳の出ない信仰は間違っています。

・確信をつかむには?

信心は疑っちゃダメです。体験、功徳を積めば確信に変わる。空っぽのボートは波が来れば揺れてしまう。でも功徳という重りがあれば波があっても揺れることはない。二世は生まれつき惰性の信心です。体験がないから。でも体験を積むと強い。功徳のない二世は「ただ、人がすき」っていうだけ(笑)
体験を積むためには、具体的に祈って動くことです。祈れば叶う。叶うまで祈る。これが大事です。御本尊は親です。子供が親におねだりすれば聞いてくれるでしょ。可愛らしくお願いする事です。
今、子供たちの間で何が流行っているかみんな知らないでしょ?「たまごっち」はもう古いんですよ。今は「ピカチュ―」です(笑)。だから御本尊様にも具体的にお願いすること。子供が一千万人もいるから何が欲しいかはっきりしないと大聖人様には分からないんだから。小僧らしくお願いされてもいうこと聞いてあげようとは思わないでしょ。だから可愛らしく「御本尊さま~♡」ってお願いするんです(笑)素直に強く祈っていくんです。やることは間違っていないんだけど義務で信心してる「一念」が間違っているんです。功徳を受けない「頑張り」が最近はやっているんですよ。

・広宣流布のために

私たちは、自分の為だけに信仰しているのではありません。広宣流布とは不幸の追放運動、幸福の拡大運動です。それは具体的に学会の所帯増であり、功徳の拡大です。成果はあがるけど所帯は減っていく。最近は成果は黒字、広布は赤字というのが多い。これを広布の山一證券といいます(笑)幹部は「幸せの責任者」です。ここではブロック1(所帯の折伏)が相場ですか?これをB1地獄というんです(笑)B1では功徳は一名だけですよ。「私が頑張ります」と決意すればみんなが功徳をいただけるんです。最近は「君も起て 君も起て」が多い。これを「他人革命の歌」といいます(笑)
不幸な人を救って大功徳を受けましょうよ。幹部に誉められるより御本尊に誉められましょうよ。

・折伏の進め方

今、皆さんは周囲を味方にする運動をしていますね。新聞とか、ビデオとか、それらは全部、味方にする運動です。いいですか悩んでない人には信心を押しつけてはいけません。「何か悩みがあるはずだ」なんてね(笑)
味方になってもらうだけで充分です。悩んでいる人がいれば折伏してあげるんです。何のため?可哀想だから、不幸な人を救うのが折伏です。「不幸な人、悩んでいる人を救わせてください」と祈るんです。法師品に仏の約束があります。悩んでいる人を救おうと決意すればその人を目の前にあらわしてくれる、という約束です。不幸な人を救うから功徳があるんです。成果にあせって、煮詰まってくると分所帯で数だけはあげていく。そんな分所帯に功徳はありません。悩んでいる人には、仏法のことは話さなくてもいいんです。悩んでいる人は仏法のことなんかどうでもいいのだから。悩みが解決できたらそれでいいんだから。あなたの悩みは、どこから来るのか解りますか?自分自身の宿業からなんですよ。この宿業はどこから来るのか解りますか?間違った宗教に原因があるのですよ。だから正しい信心で解決しましょう。「ハイ」っと、これでいいんです。

・門真おから店

広宣流布は豆腐のおからです。みんなが功徳を受けて残ったおからが広宣流布なんです。折伏して相手がお豆腐を1つ作る。自分も功徳を受けてお豆腐を1つ。これでお豆腐が二つ。そしておからが残る。これが広宣流布です。最近はおから専門店ばかりが増えてきましたが、みんなで豆腐を作りましょうよ。

・広宣流布と景気

今の不況は平成2年末から始まったそうです。平成2年といえばC作戦で宗門が学会を切った時からですね。そして自民党が山友やらなんやらとつるんで学会をいじめだした頃です。だから一凶は怖い。日本は総罰を受けてしまった。門構えの大きな家ほど悩みは大きいといっていた人がいました。小さな家で良かったですね(笑)
だから今こそ広宣流布していくんです。不幸な人を救って大功徳を受けていきましょうよ!!

以上