広宣流布

(1)広布とは 世帯増、功徳増

広布流布とは具体的に、どういう状態のことか?

①信心している世帯が増え、そして、②その人達が功徳を受ける事を言います。
世帯数が増えただけではダメです。今、頑張って活動しても世帯が減っている所すらありますね。
また、功徳を受けていない所もありますね。これは「後退流布」と言います。広宣流布がバックしていますから。

まず広布流布を進める上で大切な事は、世帯が増える事と、皆が功徳を受ける事を強く祈る事です。
活動は、そのために行うのです。
ただ頑張って活動して、空回りをしてはダメです。
広宣流布とは、功徳をうけて幸せな人を増やすことが目的です。 

(2)折伏とは

 折伏とは、自身の功徳の拡大、そして幸せな人を増やす幸せの拡大、そして広布の拡大です。そのために頑張るべきであって、エゴ(成果)のため頑張ってはいけません。苦しくなります。最終的に幸せな人をいっぱい作るべきなんです。
本流だけが目的ではないという事です。 


(3)功徳を受けよう 

折伏は、あくまで自分と相手の為です。それが広布の前進です。そのために頑張ろうと決めることが大事です。しかし、そうでなく結果さえ出せばよいというのは間違いです。変な結果を出せば誰も功徳を受けません。
広宣流布は進まないどころか、かえって不信が残ってしまいます。信心は、成果をあげるために頑張るのではなく、「功徳を受けるように」頑張るのです。
今は、功徳を受けないように頑張るのが「流行り」になっています。 


(4)信心の使命は「義務」ではなく「権利」 

私たちは大聖人様の仏子です。弟子であり「地湧の菩薩」です。私たちが生まれたのは、皆を幸せにして広宣流布をするためです。
ですが、その使命といっても、それは「義務」ではなく、あくまで「権利」なんです。「幸せの権利」だから進んで実践するのであって「義務」になったら重荷になります。
勤行や折伏も「義務」になったら重荷になります。
人は「使命を果たすときに幸せになる」ともいえます。だから「決意すること」が大事です。 


(5)どうすれば折伏ができるのか?

折伏には方法はありません。ただ祈るしかないのです。
具体的には「不幸な人を救わせて下さい!」と強く祈り抜くこと。そう祈れば必ず信仰を必要とする人が現れます。

対話する相手はどういう人か?
それは悩んでいる人です。反対に悩みがない人は折伏できません。今、悩みのない人を一生懸命、折伏している場合があります。出来ません。
今、悩みがないという人は「信仰は必要ない」と言いますから。実際は悩みがないのではなく、悩まないことが多いようですが。 

今悩んでない人に、いくら言ってもダメです。仏法には関心がわきません。病気の人に「薬を飲みなさい」と言ったら飲みますが、健康な人に飲めと言っても飲みません。「今、信仰は必要ない」と言ってる人に、いくら勧めてもダメです。

今、悩んでいる人を優先して救っていくのです。
悩んでいる相手がいれば、その人の事を強く祈ること。悩んでいる相手がいなければ「不幸な人を救わせて下さい」と祈ることです。
必ずそういう人に出会います。そして、その人に対話をすればいいのです。

この例は沢山あります。

この前、ある会合で上記の話をしました。
その2日後、ある壮年部の人から報告がありました。
「昨日、担当地域に行きました。指導を聞いた婦人部の人が、決意して不幸な人を救わせて下さいって祈ったら、古い友達から「悩みがあるんだけど、相談に乗って欲しい」と電話がかかってきて、次の日に折伏できたそうです。」


不幸な人、悩んでいる人を救わせて下さい!と祈ることです。今、対話する相手がいなくても折伏は出来ます。

法華経の法師品に「我が滅度の後にこの経説かんと欲せば化人を使わして法を説かしめん、随順して逆らわじ」とあります。「素直に仏法を聴く人を派遣するから、法を説きなさい」と書いてあるのです。ですから来てくれます。呼べばいいんです。電話をかけてもダメです。御本尊経由で呼ぶことです。

「御本尊様、お願いします。悩んでいる人と出会わせて下さい」と祈ること。来たら折伏してあげることです。悩んでいる人がいれば最初から折伏してあげればいいんです。非常にシンプルな話です。 

自分のことが叶うんですから、不幸な人を救おうという祈りも、必ず叶います。強く祈れば必ず来ます。来たら折伏してあげるのです。


(6)折伏でどういう話をするのか?

対話のコツは仏法の話をしないことです。仏法の説明をしないことです。

皆さんは仏法の説明を一生懸命してるでしょう。
しかし世の中の人は、仏法には関心がありません。

では、世の中の人は何に関心があるのか?
自分の悩みに最大の関心があります。
「あなたの悩みが解決した方がいいか、しない方がいいか?どうですか」「した方がいいに決まっています」「じゃ、信心しましょう」これでいいんです。簡単。これが折伏です。
相手を救うためですから綺麗ごとではありません。

「仏法はすばらしい。仏法はすばらしい」
「やってみましょう」こういうのは全くダメです。
これは折伏ではなく、「伏伏(ブクブク)」です。
ブクブクはダメです。悩みに一歩切り込むことです。スパっと確信をもって切り込むことです。これが折伏です。今は、それが弱くなっています。

「いいからいいから、やってみなさい」が多いのです。だから、あまり信心しよう、と思えないんです。仏法にほとんど関心ないんですから、どんなにすばらしい話を聞いてもやる気は起こりません。
信仰は、自分の為だから やるんです。
ですから信仰の必要性を教えてあげるのが折伏です。仏法の説明ではありません。折伏には教学はいりません。 

(7)一番悩んでいる人から折伏してあげよう 

相手の悩みがわかれば折伏はできます。折伏しようと思ったら、まず悩みを聞き出すことです。「悩みがありますかーっ」と聞いてはダメです。「ありません」と言うに決まっています(笑)
そこに至るまでが友好活動です。信頼関係ができれば、愚痴をこぼしたり、悩みを打ち明けてくれます。そこから折伏をしてあげること。悩みがわからないうちは折伏はできません。悩みがわかったら折伏を始めます。 

「悩みはどこから来るかわかりますか。」 

「あなたの宿命から来るんですよ。」 

「宿命はどこから来るかわかりますか。」 

「あなたの過去の謗法から来るんですよ。間違った宗教から来るんですよ。」 

「だから謗法を捨てて正しい信仰をすれば、あなたの悩みは解決しますよ。」 

「信心しましょう。」 

「はい、します。」 

 これでいいんです。簡単でしょう。仏法の説明をしないことです。
例えば病気の人は病院に行きます。病院では注射を打ちますが、その時この薬はどういう成分の薬か、事細かく説明しますか。説明せずに、黙ってズブっと打ちます。いきなりズブっと打ちます。痛くても我慢します。治ると思うからです。薬の成分がどうかではなくて、治るかどうかが問題なんです。それと同じですね。悩みが解決するかどうかを、相手は知りたいのであって、仏法を知りたいのではないんです。 

「あなたの悩みは必ず解決しますよ」

と言い切ってあげることが折伏です。

(8)体験談を語ろう

そして、一番良いのは体験談です。相手の悩みに合わせた体験談です。病気の人は病気の治った体験談、仕事の悩みの人は、仕事の悩みが解決した体験談、相手と同じ悩みの体験が一番いいんです。
仏法の説明がなくてもいいんです。教学がなくても折伏はできます。しかし悩みがわからなければ折伏は出来ません。そうでないと、単なる仏法の説明になってしまいます。そうすると「ああ、そう結構ですね。でも私には関係ありません」となります。悩みに一歩切り込むことが折伏なんです。言い切ってあげることです。「あなたの悩み解決しますよ。信心しましょう」と。それでもその人が簡単に信心するわけではありません。
そうしたら、また祈ってあげればいいんです。
あとは祈って決意させてあげるだけですから、折伏はできます。 

 以前、会合でこの話をして、その一ヵ月後に婦人部の方が3人やって来られました。3人とも不幸な人を救おうと決意したら、折伏ができたそうです。