生活に活きる信仰

✔︎河合 一『生活に生きる信仰』(第三文明社)より抜粋



≪信心が弱ければ大功徳は受けられない≫

 

 日蓮大聖人は、

「女房の御いのりの事法華経をば疑ひまいらせ侯はねども御信心や よはくわたらせ給はんずらん(中略)御いのりの叶い候はざらんは弓のつよくして つるよはく・太刀つるぎにて・つかう人の臆病なるやうにて侯べし、あへて法華経の御とがにては侯べからず」


通解:「夫人の祈りの(叶わない)ことは、法華経(御本尊)を疑ってはいないようであるけれども、ご信心が弱いからでしょう(略)祈りが叶わないのは、弓が強くても弦が弱く、太刀を使う人が臆病なようなものです。けっして、法華経(御本尊)のせいではないのです」

(王舎城事、1138P)と仰せです。

 

 四条金吾に対して、夫人の日眼女の願いが叶わないのは、法華経(御本尊)を疑っていないようでも、信心が弱いからであると指導されているのです。


≪願いが叶わないのは信心の弱さ≫


 こんなに信心しているのに、なぜ願いが叶わないのだろう、と疑ってしまう場合がありますが、功徳が出ないのは、けっして御本尊のせいではなく、白分の信心が弱いせいだ、と反省する必要があるのです。


 こんなに頑張っているのに、といっても「どういう一念で」頑張ってきたのかが問題なのです。

「信心さえしていれぱ、何とかなる」と、義務的、形式的に、惰性で頑張っていたのでは、本当の功徳は受けられないからです。


 ある婦人が百万遍の題目をあげては落ち込んでいた、という話を聞きました。

百万遍の題目をあげることが目的になり、義務的に唱題していただけで、何も「祈っていなかった」ので、何も叶わなかったのです。そして、こんなに題目をあげているのに、何も叶わない・・・・・とかえって御本尊不信になり、落ち込んでいたのです。その後、発心した婦人は、決意と目標を明確にして祈ったところ、長年の悩みがまたたく間に解決しています。


 ≪信なき唱題は真の唱題にはならない≫

 

 日寛上人は、

「(御本尊を)信じないで妙法を唱えることは、題目を唱えるとはいわない。『題目唱えの題目唱えず』というべきである」(題目抄文段、取意)と述べています。


 信心が無くて、ただ形だけ題目を唱えていることは、

「題目を唱えていても、題目を唱えていないことになる」との厳しい指摘です。


池田先生は、

「漢然とした、心定まらない祈り。義務的、形式的な勤行・唱題。それらは信心の『惰性』の表れである。惰性の信心は、惰性と空虚の回転を生む。観念的、真剣さのない祈念では、明確な結果は出ない。広布のこと、一家と自身のことに関して、たえず明確で具体性のある祈りを重ねていく。そこに妙法流布の進展もあるし、宿命の打開もなされていく」と話されています。


一念を定めた、具体的な強き祈りで、常に功徳を受け、成長・前進していく勇気ある信心を貫いていきたいものです。心の定まらない、惰性の信心や、形式的、義務的な勤行・唱題は空転となるだけなので、そうならないようにいましめていきましょう。


戦いがこれから佳境に入ってきます。


ここで今一度、祈りの基本を確認し、自分の祈り、戦い勝利への祈りときちんと漏れずに具体的に祈りきり、祈りを叶える歓喜ある戦いにすることが広宣流布ということです。


組織的戦いに勝っても自分の祈りが叶えられなければ結局は御本尊不信につながり退転してしまう。

自分の祈りが叶っても勝負に負けると後味が悪く歓喜も薄れる。両方を達成してこそ広宣流布ということでしょう!


その時の我々の歓喜の姿こそが縁を作り、次なる広宣流布を進めるのです。


5月度本幹の池田先生の指導から・・・


≪悩みに負けるな≫

一、あるとき、戸田先生は、東京の婦人部に話された。


「学会員は、地涌の勇者として、自ら願って、この悪世に生まれてぎたのである。衆生を救うために、人生の苦労を乗り越えながら、御本尊の大功徳を示し切って、広宣流布を行ずるために生まれてきたのである」


人間、誰しも悩みがある。現代のような悪世ならば、なおさらである。しかし、どのような悪世、乱世にあっても、信心だけば微動だにしてはならない。私たちは、御本尊の偉大な功力を示し切っていくために、自ら願って、悩みを引き受けたのである。そのように仏法では説いている。ゆえに乗り越えられない悩みなど絶対にない。結論は「勝つ」に決まっているのだ。

それが分かれば、悩みに負けて、嘆いたり、迷ったりずるのは愚かである。どこまで御本尊に祈り切って、悠々と、堂々と進んでいけばよいのである。



一、戸田先生は、経済苦と戦う壮年にこう指導された。


「一時的に損をしたように見えても、断固たる信心を貫けば、必ず、もとの10倍、20倍とすることができる。それが仏法の変毒為薬というものだ」と。


大事なのは、信心を貫くことである。

「凡夫は、過ぎ去った後ろしか見えない。しかし、仏の智慧は、未来を見通すことができる。ゆえにどんなことがあっても、ただまっしぐらに、妙法を信じて、戦っていけばよいのである」


これが戸田先生の大確信の指導であった。